日本・世界を変えた歴代総理大臣16選!【受験生・歴史好き必見】

内閣総理大臣
1885年から現在まで多くの方々が日本の内閣総理大臣を歴任してきました。

そこで、今回は歴代の日本の首相の中で歴史を変えたと思われる人物を16人選んでみました。

顔写真と在任期間、功績などを載せていますので歴史好きの方はもちろん、そうではない方も是非ご覧ください。

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1人目 伊藤博文

内閣総理大臣1

初代内閣総理大臣。幕末期の尊王攘夷・倒幕運動にも参加。その後、大日本帝国憲法の起草の中心になる。

また、当時あまり重視されていなかった女子教育の重要性を認識し、女子教育奨励会創立委員会を設立するなど女子教育にも力を入れた。

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2人目 山縣有朋

内閣総理大臣2

第3代内閣総理大臣。

長州藩出身。明治政府では軍政家として名を馳せ、日本陸軍の基礎を築いて『国軍の父』とも呼ばれる。

官僚制度の確立にも力を入れ、家柄や出自だけで官僚が決められないよう文官試験制度も設立し、また才能ある軍人や官僚を積極的に要職に就けた。

「山県系」と呼ばれる大きな人脈を形成し、軍事、政治ともにとても大きな影響力を持った人物であった。

3人目 松方正義

内閣総理大臣3

第4代総理大臣。

総理大臣だけでなく、大蔵大臣も長期間務めた人物。

財政に関する才能はすさまじく、日本銀行を設立し、さらに金本位制を確立するなど財政面で多大な業績を残した。

また、明治天皇からの信頼も厚く、金本位制を導入するときに明治天皇から「導入の是非を巡る議論は難解でよくわからぬが、これまで松方が財政に関して間違ったことをやった例はなかったから導入を裁可する」とまで言われている。

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4人目 大隈重信

内閣総理大臣4

第8代総理大臣。

伊藤博文に外交的手腕を買われて、不平等条約の改善のために外務大臣に就任。

その後、薩摩藩閥以外からは初めての内閣総理大臣となり、初の政党内閣を組閣

辞任後は早稲田大学を創立し、初代総長に就任。

その後、かなり長い期間を経て(16年ほど)、再び総理大臣となる。

5人目 桂太郎

内閣総理大臣5

第11代内閣総理大臣。

長州藩出身。戊辰戦争に参加し、維新後はドイツに留学。

その後、首相になり日英同盟などを結ぶなどして、日露戦争を勝利に導いた。

3度、総理大臣を就任し総在職日数2886日は歴代1位。

6人目 山本権兵衛

内閣総理大臣6

海軍軍人を経て、海軍大臣となり日露戦争で大いに活躍した。

また、日露戦争開戦前に連合艦隊司令官長に東郷平八郎を任命し、従来の人事慣行を破るものとして批判されたが、人事権は海軍大臣にあるとして東郷を任命した。

東郷平八郎はロシアのバルチック艦隊を倒したことで有名。

7人目 原敬

内閣総理大臣7

内閣総理大臣だけでなく、立憲政友会幹事長も歴任

立憲政友会とは日本で初めて本格的な政党政治を行った政党のことである。

また、爵位をひたすら固辞し続けたため、「平民宰相」とも呼ばれた。

8人目 犬養毅

内閣総理大臣8
第29代内閣総理大臣。

五・一五事件で暗殺された人物で彼の死により大正末期から続いていた『「大正デモクラシー』が衰えた。

また、拳銃で撃たれながらも

「いま撃った男を連れてこい。よく話して聞かすから」

と最期まで言論で説得しようとした方である。

9人目 東條英機

内閣総理大臣9
太平洋戦争中に在任した首相。

もともと、対米に関しては和平派、強硬派どちらもまとめる中立的な立場で強硬派の陸軍を抑えられる人物であった。

また、天皇に対しては絶対的な忠誠を誓っており、天皇からアメリカとの戦争を避けるように直接指示されたときに和平派に切り替え全力で戦争を回避しようとした。

ただ、中国からの撤退は当時の日本にとって命綱であり、アメリカとの交渉でなんとかそれを避けようとしたが日本軍の中国からの撤退だけでなく満州国の存在さえ認めないという最強硬な見解をアメリカが提示したため、やむをえず交渉を断念し開戦を決意する。

その後、天皇の意思を実現できなかったと号泣しながら天皇に詫びた記録が残っている。

10人目 吉田茂

内閣総理大臣10
1951年にサンフランシスコ平和条約を締結。

また、自身の政治生命をかけて日本とアメリカとの間で安全保障条約を結んだ。

このときの内閣支持率は戦後最高となる58%となった。

11人目 鳩山一郎

内閣総理大臣11
鳩山由紀夫さんの祖父にあたる人物。

自由民主党(自民党)の初代総裁になり、それまで国交が断絶していた日本とソビエト連邦との国交を回復した。

12人目 佐藤栄作

内閣総理大臣12
「政界の団十郎」「早耳の栄作」の異名を持つ人物で日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還の3つを達成した偉大な人物。

ノーベル平和賞も受賞しており、連続在任記録は7年8か月(2798日)を記録している。

13人目 田中角栄

内閣総理大臣13
自民党最大派閥である『木曜クラブ』を率いていた人物で首相在任中は日中国交正常化や第一次オイルショックなどの課題に立ち向かった。

また、道路法の全面改正などインフラに関して様々な政策や法律を制定し後の日本社会に多大な影響を残した。

また、総理の座を狙っていたころはその頭脳明晰なところや徹底的に実行する姿から『コンピュータ付きブルドーザー』の異名もつけられた。

ロッキード事件により自民党を離脱したがその後も政界に多大な影響力を持っていた。

14人目 小泉純一郎

内閣総理大臣14
「自民党をぶっ壊す!」という熱弁を振るい、それまで閉塞した状況に嫌気がさしていた民衆から爆発的な支持を受けた。

総理大臣就任後は「小さな政府」を目指し、道路関係四公団・石油公団などの特殊法人の民営化を目指し、さらに郵政三事業の民営化を進めた。

発足時の支持率は驚異の85%超えという戦後最大の数字をたたき出した。

15人目 鳩山由紀夫

内閣総理大臣15
民主党代表などの任を務め、自民党から民主党への政権交代を果たし内閣総理大臣になった人物。

具体的な政策として環境問題などに着手し、2020年までの温室効果ガスの削減目標について1990年比25%削減を目指すことを国際社会に公言した。

また、雇用に関しては小泉政権の構造改革については支持していたが急激な変化による非正規労働者の急増などの負の部分について救済措置が行われなかったことに関しては批判的で鳩山内閣時にこうした問題にきちんと目を向けた。

16人目 安倍晋三

内閣総理大臣16
現内閣総理大臣。2007年に一度首相に就任するが体調不良を理由に辞任。

2度目の就任時はデフレ経済を脱却するために大幅な金融緩和などの政策を講じた。

また、民間投資なども喚起しこうした金融の政策を「アベノミクス」といい、流行語大賞にもなった。

現在は2020年の東京オリンピックや普天間基地移設問題や消費税増税などの問題に取り組んでいる。

おまけ

第20代 高橋是清

内閣総理大臣17

在任期間:1921年11月13日~1922年6月12日

総理大臣のほかに大蔵大臣も歴任。

少年時代、海外に留学したがホームステイ先の両親に騙され売られ、牧童やブドウ畑で奴隷当然の生活を送っていた方で、けっこうな苦労人。

ちなみに、英語の読み書き能力はその時に取得。

ふくよかな体形から『ダルマ蔵相』 、『ダルマさん』と呼ばれ親しまれていた。

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